研究ノート・エッセー

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研究ノート / エッセー
研究会のメンバーによる投稿です。
過労死分野の研究ノートやエッセーが中心です。

研究ノート

北海学園大学経済学部 川村雅則

※以下は、本研究会のメンバーである、川村雅則さんの業績で、川村さんのHPにリンクしています

「職業ドライバーの労働実態と慢性疲労』『労働の科学』61巻9月号、2006年

「わが国労働時間をめぐる問題―2006年求職者調査の結果から」『北海学園大学経済論集』第53巻第4号、2006年12月

「バス運転手の勤務と睡眠―進む合理化策のもとで」『北海学園大学開発論集』第78号、2006年8月

「軽貨物自営業者の就業、生活及び健康」『北海学園大学開発論集』第77号、2006年3月

「規制緩和下のタクシー労働」『北海道雇用経済研究所レポート』2007年9月号

 

 

エッセー

弁護士 高崎 暢

国民の多数派になろう。

 参議院選挙で自民党が歴史的な敗北を喫した。
 それは、憲法改正を前面に打ち出し、「美しい国」「戦後レジームからの脱却」のスローガンの下に、国の根幹を変えることへの拒否である。
 その「戦後レジームからの脱却」とは、戦後民主主義を否定し戦前戦中の体制への回帰を求めるものであり、侵略戦争を「すばらしい戦争」、戦争をした国家を「美しい国」との思い込みと憧れを吐露するものである。
 天皇を頂点に、教育勅語や軍人勅喩で統一され、「オトコ社会」の秩序で統制された社会、このモノトーンで窒息した社会、「美しさ」とは無縁であり、お断りである。それが投票に表れた民意であった。
 そもそも、憲法第九条は、二度と戦争をしないことをアジアや世界に向けて発した公約である。だから、私たちは、憲法にこだわり、憲法をベースにして裁判や人権や平和を守る運動に取り組んできた。 今、九条を守れという声が多数になりつつある。その声を国民の多数派としたい。「北の国から九条を守ろう」集会の成功は、その可能性のあることを示唆している。

(事務所ニュース2007年夏号より)

弁護士 高崎 暢

新しい時代の弁護士・弁護士会

 あけましておめでとうございます。
 司法改革の動きのなか、弁護士の大量増員、隣接業種の参入、支援センター、被疑者国選、裁判員制度など、弁護士、弁護士会をめぐる状況は大きく変わりつつあります。
  札幌弁護士会は、基本的人権の擁護と社会正義の実現という弁護士の使命と在野性を軸に、憲法に体現される価値と弁護士自治を守るために会内民主主義を大切にしてきました。
 新しい時代においても、その軸は少しも振れてはならないと考えます。
 弁護士・弁護士会は、新しい人権侵害や多様な市民のニーズに応える人権救済活動の発展、手が届いていないところの掘り起こし、専門性のスキルアップ、倫理の確立などに全力を傾けなければなりません。それだけでなく今まで以上に、積極的に市民のなかに飛び込んでいくことが求められています。
 そしてそれらが、弁護士業務の基盤の強化と広がりへとつながります。
一方で、教育基本法が改悪され、憲法改正問題が重大な局面にあります。弁護士・弁護士会の責務として、憲法の理念を守り憲法を活かすことが期待されています。
 弁護士・弁護士会の使命が改めて試される時代です。

(事務所ニュース、2007年新年号より)

弁護士 高崎 暢

 「ガラスの心臓」を壊した巨大企業の責任
―NTT・奥村過労死札幌高裁判決の意義―


1、はじめに
 2006年7月20日、札幌高等裁判所は、日本電信電話株式会社(以下「NTT東日本」という)の控訴を棄却した。2005年3月9日、札幌地方裁判所が、従業員奥村喜勝さんの死亡が、安全配慮義務(業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の健康を損なうことがないように注意すべき義務)に違反する過失があるとして、NTT東日本に対し、約6630万円の損害賠償を命じた。高裁判決は、結論は当然、判断枠組みにおいても原判決を基本的に踏襲した。
2、NTT奥村過労死訴訟とは
 奥村さんは、1993年7月、職場の定期健康診断で異常が指摘され、旭川市立病院で、陳旧性心筋梗塞(合併症として高脂血症)と診断された。冠動脈の2枝に99〜100%の狭窄が認められ、運動耐容量は5〜8METsであり、日常生活にも一定の制約が要求される状態であった。
会社は、会社が定める健康管理規定の「要注意(C)」と認定した。「要注意(C)」は、「原則として、1)日勤、夜勤以外の服務につかせない、2)時間外労働をさせない、3)過激な運動を伴う業務、宿泊出張はさせない」とされており、例外規定の適用に際しては所属する組織の長と健康管理医が協議して決定することとされていた。
 奥村さんの「ガラスの心臓」(医師の意見書)も、健康管理規定に基づく労働(多少の残業時間があったが)や禁煙とコレステロールの管理などの節制と治療によって「安定した」健康状態であった。
 ところが、2001年4月16日、NTTは、11万人にもおよぶ史上空前の大規模のリストラを発表した。奥村さんにも、そのリストラが襲いかかり、NTT東日本に残るか地域子会社に行くか(職種や勤務地の変更を覚悟して本社に残るか、30%の賃金カットを認めて子会社行くか)、その選択を迫られた。
 奥村さんは、「NTTの違法は許せない」という信念と良心に基づいて、仲間とともにNTTに残こる道を選んだ。しかし、主治医からは、「行動は救急車のいける範囲に」と制限され、かつ病弱の妻をかかえる奥村さんにとっては、「どこに転勤させられるか判らない不安」は人一倍強かった。選択の時期が迫るにつれ、奥村さんは、眠れなくなり、寝ては寝言(遠くになんか行きたくない、東京には行きたくない)を言うようになり、起きていても、「そうか」「やっぱりな」「そうしないとだめか」「俺が我慢すれば良いのか」と、自分に言い聞かせるように独り言を口にするようになった。リストラ計画が突きつけた雇用形態・処遇体系の精神的ストレスが、奥村さんの精神と肉体を蝕んでいった。
 NTT東日本は、思い通りにならなかった者(残留を選択した者)に、札幌、東京における宿泊を伴う二か月間の研修を命じた。高度のコンピューター知識を要する営業職への配転を前提に、奥村さんにも上記研修を命じた。研修は、複数人の相部屋で生活習慣の違いからくる睡眠不足など、生活環境の変化、および生活リズムの変化を余儀なくされ、精神的にも身体的にもかなりの程度のストレスがあった。
 2002年6月9日、奥村さんは、研修中の休日に墓参りに行った際に、急性心筋虚血によって死亡した。享年58歳であった。
 2003年2月14日提訴し、高裁判決まで、約2年6か月の期間を要した。
3、奥村過労死訴訟控訴判決の意義
 (1)高裁判決は、残留を選択した者へ命じた宿泊をとなう長期研修に参加することによって、奥村さんには、「精神的・身体的にも多大なストレスがあったというべきである。」と本件研修参加によるストレスを認めただけでなく、本件リストラ計画に伴って雇用形態・処遇体系の選択を迫られた際にも、「喜勝には精神的なストレスがあったということができる。」と、研修参加以前に会社から迫られた「選択」にもストレスを認めたことである。
 (2)相当因果関係の枠組みでは、高裁判決は、「一般に、心筋梗塞、動脈硬化などの基礎疾患が存在している場合に、業務に起因する過重な精神的、身体的負荷によって、労働者の基礎疾患が自然的経過を超えて増悪し、急性心筋虚血等の急性心疾患を発症するに至ったといえる場合には、業務と急性心筋虚血等との間の因果関係を肯定できると解するのが相当である。」とした上で、奥村さんの死亡の原因となった急性心筋虚血の発症と、NTTが本件リストラ計画に伴って雇用形態・処遇体系の選択を迫り、満60歳満了型を選択した奥村さんを本件研修に参加させたこととの間に相当因果関係が存在することを明確に認定した。
  先に触れたが、リストラ計画に伴って雇用形態・処遇体系の選択を迫られた際に、奥村さんには精神的なストレスがあったと認めたが、因果関係においても、本件研修参加だけに限定されていないことに着目すべきである。
  この判断は、東京海上火災保険(横浜南労基署)事件の最高裁判所判決における、ア 被災労働者が従事した業務が同人の基礎疾患を自然的経過を超えて発症させる等の要因となり得るものと認められるか否か、イ 被災労働者の基礎疾患等が増悪して脳・心臓疾患等を発症した場合には、被災労働者の基礎疾患が同人の従事した業務と関わりなく、確たる発症因子がなくてもその自然的経過により発症する寸前までに進行していたか否か、ウ 被災労働者が従事した業務以外に同人の基礎疾患を自然的経過を超えて増悪させる要因となり得る確たる因子が認められるか否か、と当方が主張していたものであり、控訴審判決も、当然ながら、この最高裁判所判決等を踏まえて、上記の判断枠組みを採用したものと思われる。
 (3)安全配慮義務違反に関しては、まず、予見可能性として、「控訴人の担当者は喜勝を本件研修に参加させれば同人の生体リズム及び生活リズムに著しい変化を生じさせ、過度の精神的、身体的ストレスを与えることを十分に予測できたというべきであり、また平沢医師等から喜勝の心臓の状況等については適切に情報収集すれば、喜勝を本件研修に参加させることの危険性に気付くはずであるから、控訴人の担当者には喜勝が本件研修に参加したことにより死亡することの予見可能性があったことは明らかである。」とし、次に、結果回避義務についても、「控訴人の担当者は、比較的安定していた喜勝の生体リズム及び生活リズムに大きな変化を招来し、これを壊しかねない本件研修への参加を止めさせるべきであったというべきである。」とした。
 (4)第4の意義は、地裁判決と同様、企業に対し、配置転換や人員の削減が一種の流行現象となっている企業経営者の安易なリストラに警告を発したということである。
 地元北海道新聞は、第1審判決直後、「乱暴 な配転への警告だ」と題する社説を掲載した。「今判決で感じるのは、NTTの健康管理への配慮不足だ。会社側は、(判決の)指摘をかみしめ反省すべきである。」「今回の判決は、働く人に犠牲を強いるリストラに対して、厳しい警告になっていることも肝に銘じるべきだ。」「企業の礎は人である。従業員の健康を無視したリストラであってはならない。」と書いた。
 (5)奥村過労死訴訟判決の最も重要な点でもあるが、本件は、長時間労働・不規則労働を原因とする、いわゆる典型的な過労死事案ではなく、奥村さんの発症・死亡に関し、労働の「質」が問われた事案であった。すなわち、「ガラスの心臓」を持った奥村さんを、NTT東日本が、自ら設定した従業員の健康管理規定分に忠実に従って働かせていたのか否かということであった。高裁判決も、正面から、その管理にしたがった労働をさせていなかったと指摘し、その業務起因性(業務と死亡との因果関係)を認め会社の責任を認定したのである。
  それだけでなく、精神的、身体的ストレスの過重の基準が奥村さん本人を基準にして判断されているということである。判決は、「『要注意(C)』の指定をし、例外事由としてのやむを得ぬ理由があるかどうか・・は、(奥村)喜勝のその後の治療経過や症状の推移、現状等を十分検討した上で時間外労働や宿泊出張の可否が決定されるべきであった」「精神的ストレスは虚血性心疾患のリスクを増大させるもので、このことは産業医が認識し、また認識し得たものである。」と指摘している。
  この点は、業務を原因として死亡する過労死事案にとって、労災補償の条件を広げることを意味し、企業責任を認める敷居を低くすることになるからである。「今判決が労働の『内容』や『質』に焦点を当てて判断したのは画期的といえるだろう。『過労死』の範囲を拡大し、勤労者を救済するうえで大きな力になるよう期待したい。」(前記社説)という指摘は貴重である。
 (6)さいごに、損害額の算定に当たっては、第一審と同様、奥村さんの基礎疾患その他の事情を過失相殺することなく、原告の損害の請求額をほぼ満額認めた点も画期的である。原告の主張で変更されたのは、5%を前提にしたライプニッツ係数と、慰謝料を200万円減額したこの2点のみであった。
4、支援者とともに
 NTT東日本は、控訴審において、種々補充的に主張を展開していたが、結論として高裁判決が採用したものはなかった。とりわけ、NTT東日本の代理人が、第一審において、過失相殺を主張しない旨明言しておきながら、高裁段階で、突如過失相殺を主張し始めた点について、それは「著しく信義に反する」「第一審軽視」と一蹴された。
 このように、奥村さんの裁判は完璧なまでに勝訴した。
 この勝訴には、3年6か月間の裁判闘争への原告、仲間、組合の裁判支援の頑張りが大きかった。
 裁判所への要請署名は、短期間で、個人1万7000筆、500団体を超え、高裁への要請ハガキも1000通になった。地裁判決後、書籍「巨大企業NTTに勝つ」を緊急出版し、1000冊を販売し裁判の支援を広げた。その他、裁判学習会、報告会など、札幌をはじめ旭川でも開催し、400名以上が参加した。
 原告の奥村さんが、母親大会、歌声祭典、メーデーで訴え、中学校の同窓会、高校のクラス会、小中高の担任の先生、知人・友人等に署名を呼びかけるなど、病気を押しての取り組みに、支援する仲間が逆に励まされた。組合も、支援する仲間の先頭で、全国規模で組合や団体回りを行い、また「リストラを許さない家族の会」も支援を呼びかけてくれた。それぞれが、その立場で全力をあげた結果が、高裁での勝訴を呼び込んだのである。支援者は、異口同音に、「奥村さんの過労死は大きな共感をよび、NTTの人命軽視、人権侵害の体質に怒りをもって支援をしてくれた。最高裁の勝利判決を早く手にして、全国の支援者に報告できるよう一層取り組みを強めようと決意を新たにしています。」と、決意と励ましを弁護団に寄せてくれた。
NTT東日本は、第一審判決後、奥村さんの妻(原告奥村節子さん)が、「リストラで、私から夫を奪い、控訴されれば私の体調も悪くなる、私まで殺さないで下さい。」と会社に訴え、世論も、「控訴するな」と声を上げたが、NTTは、全てを無視して控訴した。今回、第二審においても無残な結果を経験したにもかかわらず上告した。
 一方、奥村さんの労災申請手続は、まだ結論が出ていない。労働基準監督署、労働者災害補償保険審査官は、まだ長時間労働、不規則労働等の結果でなければ過労死はありえないという呪文から解き放たれていないようである。現在再審査請求中であるが(2005年1月21日申立、2006年6月28日口頭審理済)、何時結論が出るか闇の中である。

弁護士 高崎 暢

反核・ニューヨーク行動の旅
―核拡散防止条約(NPT)再検討会議に参加してー


 2005年4月27日、ネバダ州ラスベガスに到着。今年2月に開館したばかりのアトミックテストミュージアム(核実験博物館)との交流会が行われた。私は原爆訴訟の話をした。被爆二世の話と被爆者の実像が印象的であったようで、翌日、地元紙が、「過去の核の恐怖がいまを悩ます」という見出しで大きく取り上げた。
 私が驚いたのは、博物館の展示には、被爆者、被害者の視点が全くないことである。入り口すぐには、原爆の形をした電球、調味料入れ、灰皿等々のグッズ、アトミックジュース、アトミックカクテルと命名されたものが展示されていた。壁はスクリーンとなっており、ヒットラー、昭和天皇、軍隊、原爆投下、終戦のシーンが常時映し出されていた。結局、原爆投下は戦争を早期に終了させ、被害を拡大させずに済んだということである。あの「きのこ雲」の下で何が起こっていたのかを知らせるものは一かけらもない。
 4月30日、ニューヨークのセント・ジョン・ザ・ディパイン大聖堂で、公開シンポ「核兵器廃絶と各国政府代表と語る」が開かれた。850名が参加し、エジプト国連大使が、「皆さんの署名が各国政府に強く圧力をかけるものです。皆さんの支持に感謝します。」という言葉が印象的であった。
 5月1日、ニューヨーク大集会の日。朝からの雨は集合時間にはあがり快晴。午後0時すぎ、国連本部の北側から、パレードは出発。秋葉広島、伊藤長崎両市長を先頭に、4万人の人が、3・3キロ先のセントラルパークまで行進。私も、「今こそ、核兵器廃絶を」という横断幕をもって、800名余の日本代表団の先頭にたち、マンハッタンの地を踏みしめながらパレードした。色々なパフォーマンス、沿道からの飛び入りと、にぎやかで力強い行動であった。
 今回の行動で、まだまだ被爆者の被害の実相が知られていないが、知れば新しい核兵器廃絶へのエネルギーとなることを確信した。NPT再検討会議はうまくいかなかったが、核兵器廃絶の流れが国際的本流であり、その本流を強めることが、国内での、憲法改正の動き、国民投票法案の制定の動きに歯止めをかけることになる。
 マンハッタンで、平和のすばらしさ、平和の重みを改めて実感した。

弁護士 高崎 暢

北京報告会からのレポート

旧い話で恐縮ですが、貴重な体験をご披露したい。
  2004年4月16日から18日まで、2泊3日、現地の滞在時間44時間という超過密スケジュールで北京へ行ってきました。
  北海道訴訟、新潟訴訟判決の報告と控訴用の委任状の受け取りが主たる目的でした。完敗した北海道訴訟弁護団の一員として、完勝した新潟弁護団と一緒に北京に行くのは、正直気が重いものがありました。しかし、原告をはじめ現地の人たちの対応は、私たちを心から励ましてくれるもので、気の重さも吹き飛んだ44時間でした。何が何でも高裁で勝たなければという気持ちになって帰国しました。
  4月16日、弁護士4名、支援者1名の合計5名(北海道は私一人でした)、ガイドもなく、成田から空路北京へ。北京空港には康健弁護士が迎えに来てくれており、飛行機が1時間も遅れたので、直ちに最初の報告会場である政法大学(康健弁護士の出身校)へ向かいました。約100名の学生が、開始予定時間が1時間も送れても待っていてくれ、熱心に話を聴いてくれました。続いて、中国での名門校清華大学の明倫館講堂でも(そこには模擬法廷が作られている)報告会が開かれました。ここでも時間が大幅に遅れていながら多くの学生たちが熱心に質問を発していました。流暢な日本語で質問した学生もいました。
  ちなみに、この清華大学は、中国の名門校のひとつであり、胡錦濤国家主席をはじめ、現在の国の幹部の何人かはこの大学出身者です。
  報告会が終わり、北京市律師協会憲法人権専門委員会主催の歓迎会が開かれました。会場のホテルは、清華大学が経営するホテルで、大学の敷地内の一等地に建てられており、高級ホテルそのものです。
  その日は、午後9時から、宿泊した民族飯店(前回調査の時に北海道弁護団が使用したホテル)で、翌日の簡単な打ち合わせを行い、ついでに一行5名の懇親もしました。
  翌日、朝9時から、康健弁護士事務所のあるビルの会議室をお借りして、北海道訴訟と新潟訴訟の原告が集まり(王子安、趙宗仁、任福潤さんらの懐かしい顔もありました)、それぞれの判決の内容の報告と控訴審での闘い、とりわけ署名運動の重要性について康健弁護士から説明され、50万署名が提起されました。その後、委任状、報酬契約書の作成の事務を行ないました。原告の方で、この間亡くなった方が複数名おり、問題解決の時間が迫っていることを実感しました。
  中国のマスコミの関心も高く、判っているだけでも、人民日報、法制日報、北京晨報、中国日報、北海道新聞、しんぶん赤旗の記者が取材に来ており、テレビカメラも数台きていました。北京晨報の記者の一人が個人的にカンパをくれました。
  午後からは、蘆溝橋にある抗日戦争記念館の大講堂で、判決報告会が開催されました。私は5回ほどこの記念館に足を運んでいますが、あのような立派な講堂があることは知りませんでした。
  報告会には、学生、学者等約100名ほどが参加し、司会は、抗日戦争記念館館長さんが行い、中国全国律師協会副会長さん開会のあいさつをし、康健弁護士が強制連行の争点について概括的な話をし、私が、北海道訴訟判決について、中村弁護士が新潟判決と今後の全体的な解決のための基金構想について報告し、会場からの質問を受けました。
  私は、抗日戦争記念館の「前事不忘、后事之師」の周恩来元首相の言葉とワイツゼッカー大統領(当時)の「過去に目を閉ざすものは、現在にも盲目となる」という言葉を引用し、「被害国中国の首相が侵略国日本の政府、国民に対し過去に学んでほしいと真剣に呼びかけていること、他方ではかつてナチズムが支配し他国を侵略した国であるドイツが被害者に対し真摯に心からの謝罪と賠償をいまもなお行っていることを見るにつけても、謝罪も贖罪もしない日本国政府と企業の無責任さを痛感せざるを得ない。札幌判決は、その無責任さを上塗りしたものである。・・日本は、小泉首相の靖国神社参拝、教科書問題、そして日の丸・君が代の強制、憲法改正の論議など、再び軍国主義国家にしようという動きを強め、遂にイラクへの自衛隊派兵という具体的第1歩を踏み出した状況のもとで、中国人強制連行訴訟は、決して過去の問題ではない。・・強制連行訴訟の流れは前進している。札幌判決はその流れに逆らうものであるが、逆流は表面的・一時的現象である。滔々と流れる黄河のように、控訴審では頑張りたい。・・日本人として、法律家として、そして一人の人間として、中国の人たちが受けた奴隷以下の非人間的な扱いを許すことができない。」と15分間の報告を結びました。
  会場からは、日本の弁護士の行動はすばらしいが、中国に肩入れをしているということで非難されないのか、中国の若者に日本は敵だという意識が強まっているが、日本の若者は強制連行の事実をどう見ているか、3人の叔父さんのうち2人が強制連行されうち1人が死んだが、日本政府の態度は長い目で見れば損になると思う。刑事責任は問えないのか等々、時間がオーバーするほど質問が出され、私たちは一つ一つ丁寧に答えてきました。時間がもっとあればという思いをしました。
  最後に発言した、中国全国律師協会副会長さんの「訴訟の真の敗訴原因は歴史認識の問題である。」という言葉が印象的でした。
  終了後、抗日戦争記念館の横にあるレストランで、館長主催の夕食会が催され、大変美味しい料理と地酒が振る舞われました。全ての公式行事が終わったという安堵感も手伝い、座は大いに盛り上がりました。館長を日本に招待しようという話もでていました。
  その後を、私は、康健弁護士事務所に行き、事務処理を行い、民族飯店に戻り、一行の最後のお別れの祝宴もしました。
  新潟の弁護士2名は北京に残りましたが、私たち三人は、翌日午前7時、北京律師協会の方のお迎えの車で民族飯店を立ち空港に向かい、ガイドもない空港で右往左往しつつ、滞在時間44時間の北京を後にしました。
  なお、今年の8月15日、再び北京を訪問した。控訴審でも敗訴したことの報告である。この時は、3泊4日の旅であったが、中国は近いことを改めて実感した。

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