PLATEA

PLATEA No.12より
過労死 初・も・の・二・題
●北海道過労死110番から
弁護士  高崎 暢
1 初めての労災認定
 1988年6月、「過労死110番」を開設して以来4年が経ちました。
 この間の相談件数は、全国合計で2,672件(うち死亡例が1,342件)、北海道では112件(うち死亡事例が29件)にのぼっています。「110番」にかかってきた電話のうち半数以上が死亡事例ということになります。
 「110番」への電話は、働きざかりの一家の支柱を失った遺族の叫びであり、労働組合などの協力がない企業戦士の妻からの救いの声なのです。孤独な妻の事実調査から始まる労災認定の闘いは、困難を極めます。
 4年前の1988年11月22日、「110番」にかかった相談例の中から、全国一斉に労災申請手続きをおこないました。道内では、4件申請しました。そのうちの一件である、前田さんの死亡事例が、今回労災であるとの認定を受けることができました。道内「過労死110番」最初の労災認定例となりました。
 前田さんの夫は、トマムスキー場の初代スキー学校の校長先生であり、トマムスキー場開設の仕事を一手に引き受けて奔走してきた方でした。亡くなる6日前、長野県に出張しましたが、頭痛がひどく出張途中で札幌に戻ってきました。診察を受けた医師から、直ちに精密検査を受けるよう指示されましたが、急きょ呼び出され現地に行き、2泊して帰宅しました。帰宅後、精密検査を受けるために入浴をしている最中、朝8時20分ごろ急性心不全で亡くなったのです。
 欧米に比べて、年間で5〜600時間多く働かされている日本の労働者。その長時間労働、不規則労働が原因で、脳、心疾患を発症する過労死予備軍は数十万人といわれています。過労死予備軍が被害を現実化させないためにも、不幸にして発症した過労死者には、速やかに労災補償を適用すべきです。
2 初めての訴訟
 本年7月21日、釧路地方裁判所第1号法廷で、故斉藤宏二さんの妻かず子さんが涙ながらに訴えました。「夫は死ぬまで働き続けてきました。私と同じ悲しい思いをさせる被害者を出さないために、ぜひ夫の過労死を労災と認定していただきたいのです。」
 故斉藤宏二さんは、大型トレーラーの運転手。34歳の若さで妻と7歳の息子に「さよなら」の一言もいえずに亡くなりました。故斉藤さんは、毎日400キロメートルを越える距離を走行し、一日の労働時間が10時間をこえるのが普通で、ひどい時には一日20時間を越える時もしばしばで、過酷な毎日でした。
 しかし、帯広労働基準監督署長は、故斉藤さんの脳出血による死は単なる私病であると認定し、労災ではないとしたのです。かず子さんは、この決定を不服だとして裁判所に訴え、第1回の裁判がこの日開かれたのでした。
 故斉藤さんの事例も、4年前の集団申請した1件であり、北海道での「過労死110番」開設初の行政訴訟の提起となりました。
 斉藤かず子さんは、訴えつづけました。「監督署を訪ねたとき、担当者は開口一番『これは労働災害にはなりません』と言いました。そして最後に、『どうしても調べてほしいのなら、僕たちも仕事なのでやりますが』とも言いました。しかし、私には何を提出し、何が必要なのか一切説明してくれませんでした。お役所というところが、こんなに冷たい所だとは思いませんでした。」
「雪の峠道、初めての大型トレーラーの運転。私は条件の許すかぎり一緒に乗り、夫の肩を揉んだり、首を揉んだりしてあげ、大声で歌をうたって眠気をさまさせたりもしました。」
 弁護団も意見陳述をし、「(本件訴訟は)質的・量的に過酷な労働を黙って受入れざるをえない労働者の実態を無視し、過重な労働と過労死との間に因果関係を認めようとしない企業と国の非人間的な態度に対する斗いのひとつである」「今日ではこうした裁判の積み重ねが、働き過ぎで倒れていく多くの労働者を救うほとんど唯一の手段であることを理解していただきたい」と強く裁判所に訴えました。
 過労死で倒れる労働者があとをたちません。「生きるために働く」ことが、経済効率の名のもとに、「働くために生きる」と歪められ、その歪みが当たり前になってしまっています。こうした社会の病理現象に歯止めをかけないと人間そのものが否定されてしまう。人間の尊厳を確立させるためにどうしても斉藤過労死訴訟に勝たなければならないと決意しているところです。
夫は「過労死」
労災不認定できょう提訴 帯広の主婦

長時間運転、不規則勤務…
 トレーラー運転手の夫が脳内出血で死亡したのは「過労死」で、労災補償保険法による補償年金などの支給を認めなかった帯広労働基準監督署(綿谷義昭署長)の決定は違法と、帯広市西16南4、主婦、斉藤かづ子さん(41)が、不支給処分の取り消しを求める訴訟を18日、釧路地裁に起こす。過労死をめぐる訴訟は道内で2件目。

道内では2件目
 訴えによれば、かづ子さんの夫宏二さん(当時34歳)は1986年4月に、十勝管内本別町に本社がある鋼材や飼料を運搬する運送会社に入社。87年4月21日早朝、大型トレーラーを運転中、脳内出血を起こし、道路わきの側溝に車ごと転落し病院で死亡した。宏二さんは、亡くなる前の45日間で休日は8日間。1日の拘束時間が10時間を超える日が31日間に上り、このうち5日間は20時間を超えた。多い日は1日600キロ以上運転するなど、長時間労働が連続。1人で荷物を積み下ろしし、早朝や深夜に出発するなど不規則労働も重なった。
 かづ子さんは、宏二さんの死はこうした長時間・不規則な労働にむしばまれた「業務上の疾病」が原因と、88年11月、遺族補償年金や葬祭料の給付を申請したが、同署は91年4月に「発病1週間以内に通常の所定業務と比較して過重な労働はなく、疾病と業務の因果関係は認められない」として「業務外の疾病」と認定、不支給処分にした。さらに、労働者災害補償保険審査官も同年12月、かづ子さんの不服申請を棄却した。
 かづ子さんは、今年1月、労働保険審査会に再審査を請求する一方、同署の認定は事実認定に誤りがあり違法として、訴えを起こすことになった。
 かづ子さんの弁護士は「宏二さんの死は業務に起因したもの。発病前、1週間内に過剰な労働が継続した場合とする国の労災認定基準は厳しすぎ、医学的裏付けもない」と話している。
 同署の綿谷署長は「訴状が届いた段階で北海道労働基準局と協議し、今後の対応を決める。遺族の請求に対して、亡くなった方の勤務状況や健康状態を詳しく調査し、業務外に起因すると自信を持って(業務外の疾病と)判断した」と述べた。

激務が招いたもの 原告
 原告の斉藤かづ子さんは同日夕、帯広市役所で記者会見を行い、涙まじりに心境を語った。
 かづ子さんは「夫の死は激務が招いたもの」と前置き。これまで何度も帯広労働基準監督署を訪ねたが「因果関係がない」として門前払い扱いされたこと、夫が重さ30キロの飼料袋1,500袋を手で積み下ろししていた過酷な労働を振り返り、やり場のない怒りをのぞかせた。  そのうえで「周囲の人たちに支えられて5,000人強の署名を集め、現在に至った。夫の死は過労死と信じている。本州では、過労死の裁判で勝訴したケースもあると聞いており、提訴に期待している」と、かづ子さんは胸中を打ち明けた。
 また、同席した支援団体の過労死・労働災害をなくす十勝連絡会の遠藤信房さんも「今回の提訴で、過労死問題が解決することを期待したい」と話した。

涙をこらえて心境を語る斉藤かづ子さん(中央)
●毎日新聞92・6・18

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