PLATEA

PLATEA No.21より
北海道初の快挙!労基署の処分取消、逆転労災を認定
齋藤過労死行政訴訟判決
弁護士  高崎 暢
1.12月10日、釧路地裁第1号法廷に大きな拍手が響いた。齋藤過労死訴訟の判決が言い渡された直後である。原告である齋藤かづ子さんは泣いた。傍聴人も感激の涙が光っていた。
 提訴から4年、過労死で死んだ日から9年6ヵ月。歴史的な瞬間であった。
2.87年4月21日午前6時、トレーラーを運転して自宅を出たかづ子さんの夫・故齋藤宏二さんは、その30分後、国道の側溝に落ちているところを発見され、病院に運ばれた。しかし、その時はすでに意識はなく、小学1年生の息子を残して34歳という若さで生命を落とした。最初に診察した西田医師は、「初診時の異常高血圧からみて、その発症の基礎として日常生活における生体の精神的肉体的なストレスが過重となり、本症の引き金となった」と過労死の可能性を示唆していた。
3.88年6月18日、全国8ヵ所で一斉に、「過労死110番」が実施された。齋藤さんは、労基署の窓口で「過労死は労災ではない」と追い返され、途方にくれていた。ワラをもつかむ気持ちでダイヤルを回した。その秋早速、労災申請をしたが認められず、94年6月18日提訴した。
 この間、同じ「110番」での事例が労災が認定される一方で自分だけが取り残される焦燥感にかられた。齋藤さんの唯一の救いは息子の励ましだった。その息子も高校1年生。
4.提訴後、弁護団は、宏二さんの運転経路や事故現場の現地調査をした。更に、長距離トラック運転がいかに過酷な労働であり、血圧・心拍数にどれだけ影響を与えるのか、医師の協力をえて、長距離トラックを追跡して実態調査も行なった。40数時間の実態調査にも同乗した。「死なない方がおかしい」というのが感想。
5.今回の裁判の勝利のひとつは、医師団の献身的な協力であった。長距離運転の実態調査だけではなく科学的な立場からの意見書の作成。そして日常的な医学的アドバイス。
 労基署の結論に医学的根拠を与えたのが竹田医師の意見書。その竹田医師が、私たちが提出した意見書をみて、弁解を交えた補充意見書を提出してきた。それは、宏二さんの死因は「高血圧性脳出血」であるが、その発症機序は、宏二さんの「血圧特性等」によって発症したもので業務との関連性はないと再び結論づけた。その「血圧特性」とは何か、具体的な説明はされなかった。
 ところが、被告国は、突然竹田医師の証人申請を撤回し、専門外の小野寺医師を証人とし、同人の口から、本件は「原因不明の脳出血」であり、「微細な脳血管の形成異常(先天的な血管壁構築の異常)」があったのではないかとの疑いが出されてきた。被告国が、宏二さんの労災を否定した根拠すら投げ捨てたものである。
6.判決は、(1)宏二さんの運転は就労時間が不規則で、肉体的、精神的ストレスのある業務であった (2)発症の約1ヵ月前から5日前まで、1日平均約13時間以上の業務に従事してきたこと (3)この間、労働省の通達が定める拘束時間を超え、同種業務の労働者に比べ過重で、この業務が有力な原因となって脳出血を発症させたと、原告の訴えを全面的に認めた。
 特に、本判決は、峠越えの厳しさや待ち時間が休息に当たらない等々、宏二さんの労働実態を正しく評価していること、認定基準が1週間に限定している過重負荷の時期的要件を満たさない事例でも労災保険の制度趣旨からみて労災保険給付の対象となると判断し、蓄積疲労が過労死と結びついたとの判断している点など、積極的に評価できる点がいくつかある。
7.労基署長の労災保険不支給という処分を取消し、労災を認定した事例は、北海道で初めてのことである。
 かづ子さんの涙、弁護団の仲間の涙をみて、この間の苦労が報われたという喜びが体内をかけめぐった。
 この判決を貴重な財産として、過労死根絶のために、さらに頑張ろうという決意を新たにしている。
速報
12月24日国は控訴を断念し、判決は確定しました。
長い間のご支援ありがとうございました。
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 96年過労死を考える市民集会(通算7回目)は、11月22日、かでる2・7で開催されました。今回は、北海学園大学教授の美馬孝人先生の「経済学からみた過労死問題」と題した記念講演で過労死を考えました。  演題はお堅いイメージながら、大変勉強になりました。
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