PLATEA

PLATEA No.22より
「企業社会」の「双子の落とし子」
● 「過労死」と「団体定期保険」
弁護士  高崎 暢

一、日本国憲法では、労働者の権利が明記され、健康で文化的に生きる生存権も保障されている。
  しかし、いまだ長時間労働によって生命を落としている事例が後を絶たない。それが、この国特有の「過労死」問題である。若い紡績女工が、不衛生な労働環境のもとで、長時間労働を強いられて死んでいった「女工哀史」と何ら変わらない。  ひろく基本的人権が保障された日本国憲法のもとで、一九一〇年代をひきずっていることが、「過労死」という戦後の社会的病理現象の根の深さを物語っている。

二、多くの労働者は、家族と夕食の時間がとれた昔の奴隷よりも過酷な労働、生活を余儀なくされ、「経済大国」への道にかり出され、文字通り「死ぬまで」働き続ける企業戦士として、企業に身も心も奉仕させられてきた。
  それが個々の労働者だけでなく、家庭を巻き込み、地域までもが企業一色に染められる「企業社会」へと異常膨張していったのが戦後社会の歩みであった。
  一方で、労働者の生命に保険をかけ、死ぬまで働かせ、死んでも保険金は遺族に渡さないという、労働者の生命を営利手段に使い、死後も会社に奉仕し続けるシステムとしての「団体定期保険」も、この国特有なものとして社会問題となっている。

三、この二つの社会問題は、戦後社会における労使関係が、単なる労働の提供とその対価との関係に終わるのではなく、労働者の健康、生命、家庭そして地域まで企業に従属させられているという特異な関係に歪められてきたことへの告発でもある。
  しかし、この告発のために、何万人もの生命が犠牲になり、そして告発しながらその意思半ばで終わった仲間がいまなお続いている事を考えるとやりきれない。
  従業員を過労死するほど働かせておいて、実際に過労死すれば企業が肥えるのでは、企業は真剣に過労死を撲滅させようとはしないだろう。

四、そもそも団体定期保険の目的は、個別の従業員と遺族の生活の保障である。従って、保険金は当然に個々の従業員と遺族に帰属するものである。
  一九八〇年改定されたNCIC(全米保険監督官会議)モデル法案でも、企業が保険金を受け取ってはならないことが明示されている。
  日本の団体定期保険は、一九三四年(昭和九年)、全国産業団体連合会(日経連等の前進)を母体とする日本団体生命保険株式会社の設立からはじまった。それは、アメリカと同様、従業員死亡後の遺族保障を目的としたもので、一般の死亡事故はいうまでもなく、徴用兵の戦没にも保険金を給付することで、まさに遺族の生活保障の役目を果してきた。
  決して企業内部に保険金をとどめ、個々の遺族保障の目的以外に恣意的に使用することを許容するものではなかったことはハッキリしている。
  それが、戦後社会の中でいつの間にか労働者の死亡と引き換えに多額の保険金を企業が取得することが一般的になってしまった。
  私は、今もう一度団体定期保険の原点にかえり、そして国際ルールにそって、従業員にかけた生命保険は全額遺族に引き渡すべきであると考える。

五、憲法は、「人間らしく働く」「人間らしく生きる」権利を、万人に保障している。そして、戦後社会が生み出した「企業社会」の「双子の落とし子」を根絶するために、過労死による企業責任の追求と団体定期保険金を遺族に引き渡せとの要求を、一層強めなければいけないと感じている。

「死ぬほど大切な仕事ってなんですか」
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 「北海道過労死を考える家族の会」の会長の佐藤周さんも投稿しています。
  佐藤さんは文中で、いま私にできることとして「再審査請求を勝ち取ること、相談があればどんどん受けること、夫の死を忘れないこと」と締めくくっています。書籍は当事務所でも販売していますのでご一読ください。

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